曇り硝子の向こう側

1メートル先に顔があった


向こうからも見えているのか?


(一方的に見えるはずがない)

 


カウンターにかける人は


何かに集中して取り組むような人


他人の様子など関係なかろう

 


もしもこの曇り硝子がなかったら?


もしも透明な硝子だったら?


とてもこの席にはかけられない


もしもの風景を想像して


僕は平常心を失っていく

 


ああ なんて緊張感のある


コーヒーだよ

窓辺には窓がある 〜何もしない窓辺

 ラテをテーブルに置いて硝子の向こうを眺めていると心が落ち着く。もう何もしなくていいという自覚が芽生える。窓がなく、壁だったら、また違った気分になったはず。壁と向き合うというのはよりストイックだ。見つめる内に自分に跳ね返ってくることは時間の問題だ。窓の向こうの景色は、眺めているだけで気を紛らわしてくれる。そこには一定の法則はあるが完全に同じ繰り返しではない。似ているとしても同じではない。絶えず想像を働かせることもできるだろう。身を室内に置いていても、意識は外にいるのと変わらない。窓を考えた人は偉い。



 恐ろしい夢を見始めると、だいたいその傾向は続く。夢の記憶が影響するのか。心や体に問題があるのか。
 真夜中にドアを叩く音がした。続いて怒鳴り声も。
「出ろ!」
 激しくドアを叩きながら男の声が繰り返し外に出てくるように迫る。とてもまともじゃない。時間を考えても出たら殺されるのではないか。出ないとしても、その内ドアを破壊して押し入ってくるかもしれない。警察に通報すべきだが、声を出すことも恐ろしい。気配が伝わってしまうのではないか。不在の体を貫くべきではないか。震えながら態度を決めかねていた。しばらくして、ぴたりと音が止んだ。頭の中にもやもやしたものが残っている。そうだ。あれは夢だった。部屋の中にいるという夢だ。状況は現実の今と似ているけれど、ドアを叩く男は幻だ。時間は夜明け前。敵がいないことに安堵して、もう少し眠りたいと思う。
 


 髪を切っている途中で不意に何かが落ちた。僕は咄嗟に目を閉じた。それが足に落ちて串刺しになるような気がしたのだ。美容師は一瞬消えてから、また戻ってきた。
 子供の頃は髪を切りに行くのが苦手だった。たくさん時間を奪われて疲れ果てるからだ。おじさんは決まって熱いタオルを僕の顔に被せてどこかに行ったきり戻ってこない。僕は息ができなくなって苦しかった。このまま大人になることもできないのかもしれないと思う。軽く2時間は覚悟しなければならないが、いつも納得のいく形にはならない。いつも行かなければよかったと後悔した。
 美容師は黙ったまま手を動かした。気がつくとカットは終わっている。「こんな感じで」まさに光速のカットだ。それでいて結果に何の不満もない。子供の頃の、あの時間は何だったのだろう。僕は時間を返してほしいと思う。



 ラテの中のきめ細かな氷が、より小さくなっている。窓辺に着いてから、それだけの時間が経ったのかもしれない。冬ならば闇に覆われる頃かもしれないが、硝子の向こうはまだ夕暮れというほどでもない。僕はここにいて、何もしないことを許されている。それでも窓の外の世界は勝手に動いて行く。息が詰まりそうな時は、向こう側を見て意識を解放してあげればよい。逃げ場があることは何て素晴らしいことだろう。窓を創造した人は、素晴らしい。少し折れ曲がったストローをくわえながら、僕は歩道に伸びた優しい陽射しを見ていた。